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 疎外された三角形の一角(あるいは未完の三角関係)

――コミュニケーション不全に「陥れられた」登場人物たち




恋愛小説の基本って言うのは、まず三角関係である。
両想い同士の男女が一組、それだけしか存在しなかったら、その関係には停滞しかないからだ。
だって二人しかいなかったら、何の波乱も起こりようがないでしょう。
ほかになんにもないんだから。

三角関係、あるいは四角関係、五角関係…そんなのあるのか?
まあなんにしろ、核になる二人にいろんな人間が絡んでてんやわんやすることでこう、二人の中が深まったり破局して新しい二人が生まれたり、わかんないけどなんかそういう風に展開してくのが常道。
ほら、元カレやらライバルやら親友やら、そういうキャラクターって必要不可欠でしょ、「恋愛小説」ならば。




で、「ノルウェイの森」。

例にもれず、この本の中にもたくさんの三角関係が存在する。
僕に関するものだけでも、

 僕(ワタナベトオル) − 直子 − キズキくん
 直子 − 僕(ワタナベトオル) − 緑
 僕 − 直子 − レイコさん
      :
      :

ほかにも、永沢さん関連(永沢さんの彼女、永沢さんの浮気相手)やら、緑にも元彼の話とかあったっけ?…とかくいろんな人が随所で複雑に不安定に三角形を結んでいて、それがこの本の一つの特徴でもあると思う。

ただ、もっと特筆すべきだと思うことは、このたくさんの三角関係は、三角関係であることは確かなのにもかかわらず、必ず一つが隔絶されたところにおかれているってことだ。

例えば、僕 と 直子 と キズキくん が、たぶん核の三角関係なんだけど、
三人が一気に関わって波乱を起こすなんてことはなくて、
直子と僕がセックスするときはキズキくんは死んじゃってるし、
キズキくんと直子は、いつも僕のいないところ(昔々幼い頃から、あるいは死んでしまってから)でつながってるし。
キズキくんが自殺する直前は、直子じゃなくて僕としか話さないまま勝手に死んじゃうし。

だから「ノルウェイの森」では確かに三角形の関係は結ばれているんだけど、

 僕 / 直子 − キズキくん
 直子 − 僕 / キズキくん
 僕 − キズキくん / 直子

というように、ある一組ともう一人が排除されるようなことになってしまっている。

あとは… 僕と永沢さんと永沢さん彼女との関係もそんな感じだし、僕、直子、緑もそんな感じ。
状況によって誰か一人が仲間外れになって、残り二人から遠く隔絶されてしまうっていう。
しっちゃかめっちゃかしようがないくらい、波乱なんて起こせない距離間に、一人が置かれちゃうのだ。
恋愛ものなんて、その“しっちゃかめっちゃか”こそが見どころであるはずなのに。

となると、「ノルウェイの森」に登場する登場人部たちは、大体がしっちゃかめっちゃかも起こせない、ただ疎外感を味わって困惑するだけの、コミュニケーション不全の人間たち、って言える訳で、
作者・春樹によって、そういう状況に、構造的に陥れられてるってことだ。


ただ、孤独を知ってその三角関係から去っていくその決定的瞬間は、読者には知らされるものの、それに至る詳しい経緯や心理的描写は一切読者に知らされない、ってことも、さらに特徴的。
(キズキ、直子の自殺、永沢と永沢彼女との破局、直子の死を知った僕の放浪等々、読者に知らされる内容は、実に唐突で曖昧)

結局、「ノルウェイの森」からは読者も疎外されてしまうわけだ。

 読者 / 「ノルウェイの森」 − 作者

これも一角が疎外された三角形。
徹底してますね。




感情移入して疎外感や孤独感を楽しむもよし、そんな彼らをニヒリスティックに笑うもよし。




しかしながら、いつ見ても美しい装丁です。
赤と緑、補色同士で、それが上下巻で反転されるという。
……


色のせい、でしょうか。
この本の発売当初、クリスマスプレゼントとして恋人同士が贈り合うのがブームになったのだとか。
私には生まれる前の出来事なので分かりませんが…
これを贈られた恋人たちは、いったいどんな気持ちを抱くものなんだろう。

私はあんまりもらいたくないなぁ、と、本日の講義中、教授にこの話を聞いて考えました。







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