2019/09

01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30

<< >>


>>LISTENING NOW

スポンサーサイト

  • -
  • スポンサードリンク
  • -
  • -
  • pookmark

一定期間更新がないため広告を表示しています


ロメール先生、ご逝去なされたそうですね。
きっと世界中のひとりひとりがご冥福をお祈りしているのかと思うと、ふしぎでうらやましくもあります。
ロメールを大学院で研究していた先輩は、何を思っているのかな。

今日は雪です。



エンドロールの一瞬前、男性のとなりに並んでバカンス最期の日没を迎えるデルフィーヌの、「Oui!」。
あまりに無邪気で泣きたくなってしまうほどの、あの吐息交じりの「Oui」は、あの映画のすべてだったと思います。



ばかげているのは知ってても、
くだらないと分かっていても、
恋人がいないのはさみしすぎる。

デルフィーヌの勝手な孤独感と、無計画で無為な彷徨がほとんどを占める「緑の光線」は、
最後の最後ですてきかもしれない男性と出会い、
デルフィーヌが彼に孤独を打ち明け、
そして「一緒に見ることができたら相手の心が分かる」という言い伝えがある、よく晴れた日の日没に運が良ければ見えるという一瞬の緑の光を、いっしょに見届けようとすることで幕を閉じます。

彼女があれほどに求め、期待した緑の光線。
相手の心なんか分かったってハッピーエンドなんか約束されないし、
そもそも、結局は言い伝えにすぎない、単なる錯覚の「緑の光線」。
どれほどの価値があるっていうんでしょう。

最後にデルフィーヌが見つけた彼が、彼女の恋人になってくれるのかは分かりませんが、
結局「恋人」なんてものの価値も、あの「緑の光線」とおんなじ、不確実で無益なものにすぎないのです、ほんとはね。
きっと、さ。

だけど、あの「Oui」に表れている、うれしさとかしあわせは、絶対に本物。
それがどんなに無根拠で実体がなくても、「Oui!」に違いないんです。

デルフィーヌや、どこかデルフィーヌを笑えない私たちが求めているのは、ほんとは恋人でも緑の光線みたいな奇跡でもなくて、あれに一瞬付随する、しあわせな錯覚なのかもしれません。



むなしさ/しあわせ
本当はそのバランスが絶妙に配合されながら、でも間違いなく明るく響く「Oui」。

なんだか観ている私の空っぽな人生も、今しているかもしれない錯覚への脅えも、まるごと包んでくれるように響いていた気がして、
ぜひ近いうちにもう一度見ようと思います。






スポンサーサイト


comment









trackback