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前作のハリーよりは幾分か男前なジェイムスが主人公。
俄然絵面がきれいです。
おっさんおばさんとか子持ちが主人公だと、ゲームでも本でも映画でもモチベーション下げられちゃうのは私だけ?

三角頭(レッド・ピラミッド・シング)のすてきな佇まいもさることながら、
カメラワーク、謎の解かれ方、どれをとってもおしゃれ。あと曲もいい。
スタイリッシュ・ホラー・アドヴェンチャー。





 キャラクターと“私”の、関係の崩壊 

 
―― 『サイレントヒル2』の恐怖とは何か考える


ゲームっていう世界の場合、本とか映画と違って、主人公への感情移入度合いってかなり高く約束されてるんじゃないかと思う。
自分でコントローラー操作しないと、主人公は動き出さない訳だしね?
いや、もう、感情移入というよりは同一化。
レーシングゲームやってると、カーブの時知らず知らず体動いちゃうしさ、
アクションゲームみたいなのだと、敵に攻撃されたら「いってぇなー」とか口をついて出ちゃったりするじゃないすか。
かっこ悪いと知りつつ、つい。
それはやっぱり、自分と自分が操作してるキャラクターってのが限りなく重なってるからなんじゃないかと思う。
だって本とかマンガとか読んでてそういうの絶対ないでしょ。
いくら想像を膨らませながら読んだとしてもさ、自分の重心移動させたりはしない。

ゲームって世界が他の媒体と決定的に違うところって、
自分=操作してるキャラクター(プレイヤーキャラ、PC)、って図式が絶対的に確立してしまうところなんじゃないかと。


いやぁ…しかしね。
その点において輝くわけですよ、この 『サイレントヒル2』 は。

完全にこの“自分=PC”っていう公式に打撃が加えられているよね。
自分が操作しないと動かない、普通なら同一化してしかるべきジェイムスが、中盤から明らかに操作する側の目から見て狂ってしまっているという。

もう完全にジェイムスは「向こう側」の世界の人で、そっちに驀進していこうとするわけだけれども…
動かす私たちとしては、「そっちだめ!それは絶対おかしい!」って思いながらも、ストーリーを進めなければならないという…

これが半端なく怖いんす。


自分が動かしてやらなきゃ動かないジェイムスのくせに。
“自分=操作してるキャラクター”、且つ、絶対的に優位なのはゲームの外にいる自分側。
そういう前提があるのが「ゲーム」という媒体だと思われるのですが
この『サイレントヒル2』においては、ストーリーを進めてクリアしようとすると、奴の思考回路に乗って行動させてやらねばならない訳で。
どんどんどんどん不安になって、ジェイムスが嫌いになって、「そっち行きたくねぇよー知りたくねぇよもうーーー」ってなってるのに、なのにジェイムス視点でしか世界が動かない。

なんかもう、自分が侵食されていく感じと言いますか。
もっと言うと、あれはもう完全に、「こっちが操作しているはずのキャラクター(=ジェイムス)に操作されてる感覚」なんですよ。

そんな絶対的だったはずの主従関係が逆転の危機に遭う恐怖と嫌悪感たるや凄まじい。

ゲームという世界だからこそ成り立つ前提を、敢えて危機に晒すことで生み出される恐怖。

シナリオの出来やら映像美やらカメラワークやらノイズのあげる効果まで、やはりどれも素晴らしい訳ですが。
映画でも本でも漫画でもなく、恐怖ゲームの可能性を開拓したという点で、サイレントヒル2はもっと評価されて然るべき、と、今日やり直して改めて思いました。



今までやった中で、いちばん気味悪くてつらくて怖くて後味悪いゲーム。

だいすき。


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