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コメント:らせん【厳密に言えば別にネタバレじゃない】


レポート進まない、そんな夜
「らせん」をみてみる。

懐かしい。
昔みたのとは印象がまったく違う。

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ロメール先生、ご逝去なされたそうですね。
きっと世界中のひとりひとりがご冥福をお祈りしているのかと思うと、ふしぎでうらやましくもあります。
ロメールを大学院で研究していた先輩は、何を思っているのかな。

今日は雪です。

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(2009-09-16)
コメント:観客が見出して安心したい、正義とか善とかいう「絶対的価値」の勝利。グラン・トリノという車は、その観客の欲望をこそ、象徴しているのだ!


家族愛、国家、民族への誇り(ナショナリズム)、倫理、道徳、神、生命の尊さ・・・・・・

あらゆる「神話」が疑われ、そして失墜していったのは、きっと第二次世界大戦後だ。


親ってだいじにしなきゃいけないもん?
どうして人を殺しちゃいけないの?
国ってなに?
なんで出来の悪いやつを差別しちゃいけないんだよ。
神様なんていねーよ。
・・・・・・
・・・


いろんな疑問が浮かんで、
でも他人に与えられる答えはいつだって少し納得がいかなくて、
「ほんとに?」「なんか都合よくない?」なんて疑いながら、でもなんとなくみんなと歩調を合わせて生きてきてみた。

よくわかんないけど守んなきゃいけない「法律」、とか
読まなきゃいけない「空気」、とか

自分の外側に左右されながら、でも同調しきれないようななんとなくの「違和感」ってところで外とは区別されて保たれてる危うい「私」っていう存在。



・・・・・・程度に差こそあれ、戦争から遠ざかるにつれ、だんだん、それぞれの存在って価値が失われて感じられるようになって来てると思う。

戦争、っていうのは、もちろん忌むべき歴史ではあるのだろうけれども
戦争を知らない私は、「同じ気持ち・同じ価値観なんてつながりを他人と持ち得ない」ってみんなが思ってるような、みんなばらばらの雰囲気の中に今いて、
「絶対的価値」ってやつを「みんな」と「共有」できた、その戦時中という気分に、憧れみたいな気持ちを抱くことがある。



――――――――――――

『グラン・トリノ』に出てくるおじいさんは、恐らく、戦後から今まで、あらゆる「神話」が崩壊するその様を体験してきた人物なんだと思う。
「頑固」、「偏屈」って言われるけど、頭が固いとか古いっていうよりは、「社会」の風潮に左右されず、自分の価値観に忠実に生きる、リベラルな存在と言える。

ハナから差別してかかってたモン族の人と交流し始めるのは、
ご飯がおいしかったり女の子が可愛かったり意外と男の子にいろいろ教えるのが楽しかったりしたからで、
「差別なんてよくないな」って“改心”したからじゃない。
だってナンパな黒人には差別用語を惜しまないし、黄色人種の文化もイマイチ理解できてない。

だから、

「周囲との交流を通して互いの違いを理解し合い・・・(うんたらかんたら)・・・心温まる・・・(どうたらこうたら)・・・最後には感動の・・・」

ってよく感想とかレビューとして見るんだけど、
わたしには、結果的な「周囲との交流」だって、結局彼自身のリベラリズムの延長(個人的な「いいと思うかんじ」だけの選択)の延長にしか思えない。

違いを理解するんなら、ああいうラストにはならないでしょう?



おじいさんが肯定して受け入れたものと、否定したものと、その線引きってどこにあるんだろう?

きっとおじいさんは、法とか宗教とか道徳とかに関係なく、自分自身の価値観でもってああしたんだと思うんだよね。
「おれ」を貫いたんだと思うんだよ。

だっていくら悪いことしたとは言え、「社会」的には前途ある若者を否定しちゃいかんでしょ

結局おじいさんのしたことって、「リベラリズム」とか「個人主義」とか呼ばれるようなことの範疇なのさ。



なのに観客はこれを観て「共感して泣いちゃう」という、この “気持ち悪さ” 。



それって、
戦後を通して失墜してきたはずの、そして主人公のおじいさん自身が持ち合わせずにいたはずの、
生命の尊さとか正義とか相互理解とか、そういう「絶対的価値」っていう「神話」を、
私たち観客は勝手に彼のすがたに重ねて作り上げてしまっている、ってことだと思うんだよね。


「価値観なんて人それぞれじゃん」とか言って、自由を掲げて、
でも、結局「絶対的価値」を人と共有したい、人とつながってたい、って部分を捨てきれないでいる私たちの矛盾。
『グラン・トリノ』は、そんなものが浮き彫りにされる映画だったな、と、私は思います。


フォード社製、72年型のグラン・トリノは、崩壊した「絶対的価値」、「神話」というものの象徴なのであり。
そしてそれでもなお、映画の中で愛され、乗り継がれるその姿は、
私たちがそのからっぽの「神話」を、まだよりどころにし、手放せないのだということをも雄弁に語っているのであります。








映画「ノルウェイの森」の監督トラン・アン・ユンの劇場最新作。
音楽はレディオヘッド。
すばらしいコラボレーションでした。
レディオヘッドはきっと映画音楽に向いているに違いない。

信仰や正義や美、という、「良い」ものは、狂気という「悪」に支えられているものなんだと、この映画を観て改めて認識しました。
それは、表裏一体、という意味でも、狂気という逸脱が新たな「良さ」という概念を生み出しうるという意味でも。

あ、ジョシュ・ハートネットが演じる刑事の名前がクラインなのは、「クラインの壺」と関係あるのかな
マフィアのス・ドンポ(イ・ビョンホン)という「悪」と、他人の痛みを身代わりとなって引き受けられる特殊能力を持つシタオ(木村拓哉)という「善」を、表裏一体のものとしてつなぐ役割……みたいな
どうなんでしょう。

「それぞれに痛みを抱えた男たちが、美しく、そして激しく傷つけあう」、「誰も想像しえなかった結末」…
確かにそこに偽りはありませんが、単なる「サスペンス」以上の感慨を観客に提供してくれる作品だと思います。

基本的にはシタオの設定からしてファンタジーものです。
そして(少なくとも一回見た限りでは)、そういった設定も非常に曖昧というか釈然としない部分が多く見られます。
なんで?え?マジで?論理的じゃなくねぇ?みたいな疑問をはさみはじめるとキリがないっつーか。
例えば、筋とかバラさない範囲で言っちゃえば、「もう死ぬ!」っていう怪我を負った人間の「痛み」を引き受けたシタオが、血だらけになりつつなぜ生きてられるのか、とか。傷自体引き受けて出血までしてるならなんで彼は死に至らないのか?みたいなところ。しかも、やたら回復早いし。
まぁ、これは……いやーでも……

まぁ見てくれ!途中では気になってくるよ絶対!「なんであんたは死なないの」って
これから見られる方は、中盤はそういうのはもう細かく考えないで流れに身を任せるつもりでいてください。
ファンタジーだから!!



もう何を置いても映像美!!!
木村さんとかイさんとかほんと今まで軽んじてましたスイマセン
こんなに美しいなんて知りませんでしたッッ
必見っす。





最後に。
個人的に気になるのは、「青いパパイヤの香り」然り、トラン・アン・ユンの作品に出てくる女の子は大抵バカ、ってこと
監督はフェミニストなんだろうか。女性蔑視者なんだろうか。
なんか…女に甘いよね。甘いっつーと語弊あるけど…

さて、「ノルウェイの森」の女性陣たちは、どのように描かれるのでしょうか。
たいへん楽しみであります!

そして松山ケンイチ!
(わーーーーい)



多くの岩井俊二監督作品の助監督を務めた行定勲は、「世界の中心で愛を叫ぶ」、「春の雪」、「GO」など、現在ではポピュラーな大作を扱うイメージが定着していることと思うが、実験的な小品もいくつか発表されておりそちらも大変評価されてもいる。
2週間という短い期間で撮影された自主製作映画である「贅沢な骨」も、行定監督作品を代表する佳小品。
2001年度キネマ旬報ベスト・テン監督賞を受賞。

まぁプロ的な方々の見解なんかは難しくてよく分からないので、
Amazonのカスタマーレビューをちらちらと見てみることにした(まぁ、Amazonでもセミプロみたいなレビューいっぱいありますが)。

散見するのは「アートムービー」という表層の“おしゃれ感”を評価する単語、
後は批判的なものもあって、「曖昧で消化しきれてない部分が多すぎる」、「なんだか初めっから意味がよく分からなかった」といったものが多い。
人物像の薄さ、生活感・現実感のなさといったものも批判の対象にあがっているようで、
総合して平たーーく言ったら、「おしゃれだけど実際何なのかよく分からない映画」、ということになりそうだ。

でも「よく分からない」だけあって様々な解釈や憶測が飛び交っているようで、Amazonのカスタマーレビュー、読んでいて大変興味深かった。
一回映画を見たら、レビューも合わせて読んでみたらおもしろいと思う。

さて、今回は、そんなおもしろいレビューには勝つべくもないので敢えて穿った見方を導入。
「鑑賞者が歪ませるストーリー」と題していろいろ考えてみたいと思います。



      ↓ ↓ ↓
 (under constructing)

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(2009-07-03)
コメント:勝手も矛盾もないまぜにして。

「アンデルセンの『人魚姫』を今日の日本に舞台を移し、キリスト教色を払拭して、幼い子供達の愛と冒険を描く」、という企画のもとに制作された(らしい)「崖の上のポニョ」。
(宮崎駿『折り返し点』(岩波書店)より引用)

ハラハラドキドキよりも童話的な安心感が前面に出ている本作。
生き物みたいな波、イマイチ美しくない人魚、悪者のいないお話、……
ファンタジー、っていうほどにふわふわした感じははなくて、どこか落ち着いた、地に足の着いた感じ。
絵本みたいと言えば絵本みたい。
上手く言えませんが、その辺が「今日の日本」という舞台に根付いた“お話”という辺りからの狙いなんでしょうか。

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コメント:リザ、黒幕説。

「裏窓」は、「殺人事件を扱ったミステリ映画」ではないんじゃないか、と思った。
まず、すごく単純素朴な感想として。

向かいのアパートに主人公のジェフが“見出した”殺人事件、
これは実際には起こっていたと言えるのだろうか?

夫婦間の諍い、であるとか、妻失踪後ののこぎりや大きな包丁、生存して本当に旅行しているなら「絶対に女として置いて行くはずがない」宝石類、ハンドバッグ、それから結婚指輪。

状況証拠としては確かにそうなのかもしれないけども、でも、殺しがあった、って断定できる決定的証拠って・・・提示されていない気がする。

こうなるともう、ミステリ映画としての体をなしてないんじゃないかということで、
…いや、駄作!とか言いたいんじゃ、断じてなくて。
むしろ、ミステリを原作としていながら、ミステリ映画として観る事事態が適していない映画、といことにこそ、このヒッチコックの「裏窓」の魅力ってあるんじゃないかと思う。

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